塩野七生

ヴェネツイア ノブレスオブリージュ と 公 と 民主主義と開発独裁

ロ-マ亡き後の地中海世界

皇帝フリードリッヒ2世の生涯

皇帝フリ-ドリッヒ2世の嫡子と庶子

皇帝フリードリッヒ2世の教育

皇帝フリードリッヒ2世と宗教・異端

十字軍物語・宗教戦争として

十字軍物語1・聖戦

十字軍物語2 
イスラム

十字軍物語3   始まりとその後

陽の下に新しきものなし 
ジョブ・空洞化・本国投資

衆愚政治

新トライアヌス法

特別復興立法

  
朝日新聞と慰安婦報道 オランダ人慰安婦

追補 1
  
追補2

























































































































































































































































































































































































































































































































































































































































塩野七生

ヴェネツイア ノブレスオブリージュ と 公 と 民主主義と開発独裁

ロ-マ亡き後の地中海世界

皇帝フリードリッヒ2世の生涯

皇帝フリ-ドリッヒ2世の嫡子と庶子

皇帝フリードリッヒ2世の教育

皇帝フリードリッヒ2世と宗教・異端

十字軍物語・宗教戦争として

十字軍物語1・聖戦

十字軍物語2 
イスラム

十字軍物語3   始まりとその後

陽の下に新しきものなし 
ジョブ・空洞化・本国投資

衆愚政治

新トライアヌス法

特別復興立法

朝日新聞と慰安婦報道 オランダ人慰安婦

追補 1
  
追補2

 

































































































































































































































































































































































































































































































































塩野七生

ヴェネツイア ノブレスオブリージュ と 公 と 民主主義と開発独裁

ロ-マ亡き後の地中海世界

皇帝フリードリッヒ2世の生涯

皇帝フリ-ドリッヒ2世の嫡子と庶子

皇帝フリードリッヒ2世の教育

皇帝フリードリッヒ2世と宗教・異端

十字軍物語・宗教戦争として

十字軍物語1・聖戦

十字軍物語2 
イスラム

十字軍物語3   始まりとその後

陽の下に新しきものなし 
ジョブ・空洞化・本国投資

衆愚政治

新トライアヌス法

特別復興立法

朝日新聞と慰安婦報道 オランダ人慰安婦

 追補 1
  
追補2


































































































































































塩野七生


  

 

                   



塩野七生さんの最新刊ギリシャ人の物語 1 を買いました。 彼女曰く、もうあと2-3作でしょうと。 ローマ人の物語は世に出すのに1年1作で12年間かかりました。

 貧しい老人としてはそれをハードカバーを買うのをガマンして文庫本がそろう、それも中古を混ぜてのことですが、一気に買い読みました。 
 最近はこちらの人生も残りすくなくなったので、どちらが早いか駆け比べの状況です、もう、そんな余裕はありませんのでハードカバーの新作を買っています。

  ローマ人の大作を読んでいたころには、まだ、ブログをやっていなかったので、書くことがいっぱいあっただろうと思います。残念です、今となって読み返してブログにあげるには難しいです。

  塩野七生さんのページを新しく作成しました。


       2015-12-27


  ご注意

 七生さんを七海と記しているところ多数ですが、彼女は若いころにエーゲ海などをヨット周航したこと、爺爺が船乗り稼業でヨット乗りであったところから意図的に変えていると言いたい。 だがこれは転換ミスで大雑把な性格で気が付くのが遅れた言い訳です。








       ノブレスオブリージュと責務


 下記はウインドウズ95の時代に、今は老人ですが、暇こいてるおじさん時代に、RPG作成ソフトを購入しました。そのメーカーが賞金1000万円のゲームコンテストを主催したので、半年もかかってヴェネツイアのノブレスオブリージュをメインテーマにしてゲームを作り応募しました。内容もそうですが、それ以前の問題でしょう、見事に落選でした。人生を無駄に過ごした良い例です。
 以下はそのあとがきと称してゲームにはめこんだものです。最近は歴史ものが盛んですが、歴女もこのヴェネツイアやローマをもっと知ってほしいですね。 今でしょ! 人口20万そこそこの小国が、情報を重視する政策を採り、当時の欧州の大国として1000年も栄えた交易国家でした。もっともっと学ぶことがありますね。

     ;      


     ヴェネツイア ノブレスオブリージュ と 公と 民主主義と 開発独裁


 最近の報道です.日本人が欧州で車が故障して立ち往生しているところに,さっそうと王族のひとりが現れて,車を修理してくれて立ち去った....こんな記事がありました.
ヴェネツイア人の”ノブレス・オブリ−ジュ”(尊き責務)はしばしば登場します.(注;13世紀末のグラデニ−コによる)政治改革以降の(ヴェネツイア)貴族をノブレスと云っています.車の件はさしずめ現代版王族の”責務”といった趣ですね.塩野七生さんによればそれは「体を張って他者を守ること」だと述べられています.ノブレス(ノ−ヴィレ)は持っている資産や地位や優れた個人の資質によって尊敬されているのではなく,それを利用して持っていない人を守るから敬意を払われているのだと述べています.

 振り返って我が国でありますが,江戸時代にはサムライが存在しました.日本では城下町というものがあります.これは欧州のぐるりと町を城壁で取り囲んだ城中町とでもいう形とは明らかに違っています.
戦争の時にサムライが庶民を守る伝統がなかったから生じた違いでしょう.先の戦争で戦車連隊の小隊長をされていた司馬遼太郎さんが書かれていることですが、軍の参謀よりアメリカ軍が上陸してきた折りには避難民をひき殺してでも,駐屯地の佐倉から南下して進軍セヨといわれたと書かれています.つい最近までその国民を守る伝統がなかった、ということでしょう.
 また一方では同じく司馬さんによれば「公」という観念が江戸時代には存在しました.そのことで本に書いておられますが,吉田松陰はおじの玉木文之進から教育を受けました.松陰が孔子や孟子の朗読をしていて顔にとまったハエを追い払って、おじからひどく叱られます.サムライの子供でも聖賢の本を読んでいるときは公務である,その時にカユイという私情を差し挟むなということで、崖から突き落とされ、さらに殴られます.それを見ていた母親が、心の中でそんなつらい目にあうなら、いっそ死んでしまいなさい、と思うような厳しい「公」教育があったようです.今ではサムライはテレビの時代劇の悪代官の影響が強いようですが,武士は清貧で汚職をしなかったようです,だから尊敬されていました.ノ−ブルと「公」は共通するところがありますね.

 ヴェネツイアのノ−ヴィレとサムライの違いは何でしょうか?ノ−ヴィレは政治に携わる栄誉のみを持ち,他のいかなる特権を持ちませんでした.”切り捨て後免”などの特権を持ったサムライとは違いがありました.

またヴェネツイアでは13世紀の半ばより「ム−ダ」という国有船団による定期船方式を始め,輸送料を払えば誰でも荷が積めました.勝手に値をつりあげて独占を許さない制度です.交易に参入したい商人には自由に参入機会を保証する制度です.この制度を政府を握った大商人(ノ−ヴィレ)によって国是としてやった国です.こんな例は歴史上で余りないと思います.特権を握った支配層はそれを手放しませんね。私が考えるノブレスの最もえらいところです.ヴェネツイアが1000年続いたのも分かるような気がします.サムライにも,もちろんこんな例はありません.

 日本の「公」ですがその伝統は日露戦争までは続きました.列強の圧迫を敏感に感じ取った;いしんの志士;たちにより、明治という変革を成し遂げました。志士の世代が死んで指導層が”秀才官僚”に変わると次第に「公」は忘れ去られたようです.先の敗戦で軍事官僚は消えましたが,戦後も明治以来の官僚支配は続いています.「公」という問題、日本のノブレスの問題は、キャリア官僚ではなくて,世界的には汚職の少ないノンキャリア役人のほうに,今でも遺伝子が少しはあるのかもしれません.農地解放までの一部の庄屋・名主クラスの人にもありましたね.

関連して民主主義のついてですが,これは日本では敗戦後”戦後民主主義”として与えられ定着したものですが,これには土台というものがあるように思います.自給自足で生活している社会とか農業が中心の国では定着しにくいようです.敗戦までの日本もそうでした.民主政体は人のよって立つ”生活基盤の中に合理性”が基礎を成している社会の上にしか定着しないものです.
歴史上はギリシャのポリスとかヴェネツイアとかの小さくて交易で成り立つ国で生じ繁栄しました.
間違いを恐れずに云うと,商業や製造業などで,読み書きそろばん,商売上の信用などが要求されないところでは民主主義が育たないのではないのでしょうか.また隣国の例をだして申しわけないのですが,韓国でもこのレベルに達して民主化が起きました.韓国は財閥制度を利用して発展する限界を超えたので、今は経済的には変革のときです。政治的には,韓国は今では日本より先を行ってるのではと感じるほどです.でも、韓国と中国はけ口に、今は無い過去日本のことを持ち出すことはやめましょう。

ここで誤解を招かないようにしたいのですが,自給自足から高度な情報社会にならねばならない必然はないということです.それはおいしい食材をひとつの調理法でだけで食べるようなものですね.塩野さんが云うように「善政必ずしも民主政の独占物にあらず」でしょう.
戦後の植民地独立諸国が現実的には開発独裁の制度を採用してきました,日本も明治から敗戦まではそのようでした.共産主義の問題も、開発独裁のひとつの民族の歴史的な地域表現と、思えばいいのではないでしょうか.そこには効率がいいという必然があるからです.問題は役割を終えたときの転換でしょう.我が国は大きな犠牲を払った戦争でしか解決できませんでした.ソ連はえらかったですね,85年のピ−クの軍事力を使わずしまいでしたから.

日本の問題に戻ります,戦後の日本のノブレスの人達まあキャリアの官僚ですが,食うや食わずの時代から再出発をしたせいで,緊張感が持続したのでしょう、85年位までは中流意識を皆が持った、ということで善政を敷いたといってもいいのではないでしょうか.必ずしも個人への分配が公平公正であったわけではありませんが,それ以降の状態はもう申すまでもございません.結果がでていれば,どこかの大統領のように,自分で引いたレ−ルでもないのに快調に走っていれば,少々のことは許されるのでしょう.

そこで小生の”ノブレス・オブリ−ジュ”を踏まえての提案です.占領政策のひとつとして成った戦後の大衆民主政体ですが,50年続いて来たものを今さら後戻りはできないでしょう.いろんな意味での民度が上がるまでの過渡的形態として,参議院の員の選を,税金を多く納めた法人代表や個人から選んでみたらいかがでしょう.現在の古い基盤の代表が政議治を握っています.グロ−バルな競争に勝ちぬいた産業基盤の代表がノブレスが新しい時代を築くべきではないでしょうか.

本当に最後ですが,ヴェネツイアはその後,ジェノバ,トルコと戦うことになります.ジェノバは同種のものの戦いゆえ100年も戦いますが,より優れたものが勝利をおさめヴェネツイアは勝利しました.トルコに対しては,ヴェネツイアは自分が合理的な判断をするがゆえに他者もそうするという失敗に悩まされ続けます.滅亡のときは同じ過ちでナポレオンに対して”非武装中立”を宣言しますが滅亡してしまいます.
周辺諸国の我が国に対する対処の仕方が、合理的な判断によるのかよらないのかに寄って、安全保障の問題を考えるべきであります.傭兵に頼っている国があれば,それはその国の存亡にかかわります.日本は自国民で守る気概とそれを補完する軍備が必要でしょう.それが相手に思い留まらせるものだといえましょう.先の大戦で中立を保ったスイスとスエ−デンはヒットラ−を思い留まらせる軍備を持っていたことを忘れてはいけないでしょう.これらの国の軍備は侵略的な軍備と別物だというこ
とも知らねばなりません.

;以上ヴェネツイアについて思いついたことを述べてみました

          
            ヴェネツイア               サンマルコ寺院

 映画 ヴェニスの愛 より ベネツイア貴族マルチェルロのオーボエ協奏曲  5.02分             ;     http://www.youtube.com/watch?v=rDFFEDGCcio;   いいねえ
   http://www.youtube.com/watch?v=aYnU-CaH0bM  10分

  ;ヴェネツイアのジョヴァンニ ガブリエリの曲  サンマルコ寺院で鳴り響いていた曲  70分
    ;http://www.youtube.com/watch?v=tHSpsHcpRp8

            2013-7-12



  社会・時代が作る教育  元首ダンドロの場合


; 








      ロ-マ亡き後の地中海世界


                        

 25年ほど前にスペインのマジョルカ島からイタリアのサルデイニアにヨットで2日間ほどの航海をしたことがありました。その時にその州の旗を知り奇異に感じました。鉢巻をしたムーア人の横顔が描かれているということです。その時に奴隷を描いたとか、囚われた住民だとかの説明を聞いた記憶があります。本当の由来は知りません。塩野さんの”ローマ亡きあとの地中海世界”を読んだ後では、サラセン海賊を防ぐために山の頂上に村があったり、岬岬にトーレ(搭)を眼にするのには納得できます。
 ボストンマラソンでの爆発事件がありましたが、21世紀はイスラムの問題を解決しなければなりません。西欧のエリートには歴史で学んだ十字軍の知識のせいでしょう、十字軍コンプレックスがあると聞きます。塩野さんのこの本を読めばサラセン海賊の問題と十字軍の問題は、どっこいどっこいでどちらかが悪いということではないようです。時間がかりそうですが、イーブンイーブンだとの共通認識に至れば、糸口が見つかるかもしれません。


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                 2013-5-5

       追補

           塩野七海による海賊とは

 海賊という現象は、貧しい者が豊かな他者を襲って奪う、のではなく、職を保証できない国に生まれた人間が、保証できる国に生まれた者を襲う現象である、と。

               2014-6-2


   








      フリードリッヒ2世の生涯   
      

                         
                  フリードリッヒ大王          
 
フリードリッヒ2世は歴史上2人います。一人は1712-1786年のプロイセン大王です。バッハの息子のカール・フィリップ・エマニュエル・バッハが彼の宮廷楽団のチェンバロ奏者としていました。父のバッハがそこに行き王様から音楽のテーマをもらい、即興で弾いたのが音楽の捧げものBWV1079として有名です。専制啓蒙君主でボルテールと交際し他国の君主にも尊敬され、国が滅亡しそうになるが、代替わりした後継者の尊敬を集めて講和できて助かったエピソードがあります。現在のプロイセンは先の大戦で負けたことからロシアの飛び地やポーランドの領土となっています。でもそれまでのドイツ統一の盟主となった国です。
   バッハ音楽の捧げもの  演奏レオンハルトやクイケン兄弟   48.11分
    https://www.youtube.com/watch?v=pyUNNA5QK6w

 もう一人は父親のハインリヒがノルマン王朝のコスタンツアと結婚したことから、神聖ローマ皇帝に加えてシチリア王にもなったフリードリッヒ2世・1194−1250没です。当時のシチリアはイスラム・ビザンテイン・ラテン文化が混在して融合していた背景があり、4歳でラテン語を習得しギリシヤ語・アラビア語など6つの言語を習得した。幼児の時は両親がいなくて不遇です。その当時の独特な文明の影響の中で言語の習得ばかりでなく、他のことも独学で自由に学んで育ちます。青年になり神聖ローマ皇帝の継承争いのなか、彼は選挙により皇帝に選ばれる。わずかな人数でドイツに渡り実権を掌握する。この時は法王によってローマで戴冠する。これ以降は生涯にわたって法王と争うことになります。帝国を中央集権化とローマ以来途絶えていた法治国家として運営していくことを彼は目標とし、メルフィ憲章を創設して実施しました。
 法王の意に従うことがないので、破門されます。その中で外交のみで戦うこともなく、無血でエルサレムの返還を実現した・第6次十字軍。法王は血を流さないでエルサレムを返すこと自体が不満であった。まあ今でいう原理主義者ですね。イタリアではロミオとジュリエットの世界で描かれている、皇帝派と法王派の争いが続きます。法王との争いの詳細を情報公開で知らせることにより、破門されても理解を得ていました。法王と国王の争いは叙任権争いと教わりましたが、そうではなく領土も含めた権力闘争です。地上での神の代理人とされている代々のローマ法王を通じて神は皇帝や王という世俗の君主たちに統治を委託してきたと考えているのが中世です。コンスタンチヌスの寄進書が偽書と判明するのは15世紀ですのでまだ200年後です。
 中世にいた早すぎた啓蒙君主が皇帝フリードリッヒ2世です。戦いで勝利した君主ではなく選挙で選ばれた皇帝でした。従い戦争するにも領地よりの軍隊は少なく、せいぜい2万ほどの寄せ集めでしたので完全に制圧することはできませんでした。自身の能力が高かったので統治できたのですが、死んでしまうと徐々に法王が陰謀の限りを尽くして奪っていきます。フランス王の弟にシチリアへ陥入させ、最後はシシリア王国はフランスのものになります。後になって、まとまったフランスが権力を行使できる体制が整うと、法王はアビニョンに幽閉されることになります。自らまいた種ですね。
 コムーネといわれる自治都市がミラノを中心として法王側について皇帝と対立します。自治都市はのちのルネッサンスの中心となる勢力ですが、皇帝の早すぎたルネッサンスを妨げました。政治は賢公によれば効率的なことは確かで、時代を超越してことをなすことができます。皇帝フリードリッヒ2世がいい例ですね。でもはかなくて例外的になる宿命です。悪公の例は現代でも過去でも多く有りすぎです。
 日本の例に例えると、13世紀ですから鎌倉幕府の時代です。頼朝のように軍事で制覇していないで、高知の守護・地頭が選挙により選ばれて将軍になり後醍醐天皇と権力闘争をするようなものです。おまけに両親がいなくて成長した青年です。日本を法治国家にするため、新律令憲章を制定し、足利の学校でリベラルアーツを教える。死ぬまでは成功して、巧みな外交で元寇さえも起きずにパクスジャパンの平和を実現したのが皇帝フリードリッヒ2世です。
 まあ、余計な説明を聞くより塩野さんの本をお読みください。読むつもりの人に害になるかもしれません。

   皇帝フリードリッヒ2世の時代13世紀の音楽   2.05分
  http://www.youtube.com/watch?v=4nI-9ildOus&list=PL32B037BF0813B95E


 








     皇帝フリードリッヒ2世の嫡子と庶子  

 
1                ;

 ローマ人の寛容ではないですが、塩野七生さんの寛容は出来るいい男に対しては、女たらしでも寛容なことですね。カエサルにしても皇帝フリードリッヒ2世に対しても彼らを惚れて書いているせいか、同性の立場に立ってキリリと糾弾するようなことはありません。
老生のような凡人が彼らののマネもデキルワケモナク、ヨダレをたらしてうらやむばかりです。
 
 正妻1      コスタンツア アラゴン家       嫡男1 ハインリッヒ
 正妻2      ヨランダ  エルサレム王国     嫡男2  コンラッド ドイツ王となる
 正妻3      イザベル  ヘンリー3世妹    男女幼くして死亡
 愛人4から正妻4  ビアンカ   ランテイア候娘    庶子嫡男 マンフレデイ
 
 愛人1  アデライデ     庶子 エンツオ  サルデイニーア王 戦闘で捕まり幽閉
 愛人2  マリア アンテイオキア   庶子 フェデリーコ  アンテイオキア公となる
 愛人3  アナイス
 愛人5  マンナ    大司教ベラルド姪   庶子 リカルド キエーテイ伯となる
 愛人他


 以上のように11人もの女性から7人の男子と8人の女子を持つことになります。この女性たちや子供たちよりから誰ひとりとしていろんな問題が起きたことはなかった。法王などの敵と通じたり不祥事を起こした女性はいません。フリドリッヒは隠さず周知の事実なので他者がスキャンダルと問題にするまでもなかった。元愛人ではなく現愛人なのです。凡人にはできないことですが、愛人たちに不自由な思いもさせなかった。実家が得になることもなかった。
 中世のこの時代に領国を継ぐには嫡子でないと、法王は認めなかった。これ以外は庶子の差別はない。嫡子と違って任地いくことのない庶子は若いうちから父親と過ごすことになった。庶子は部屋住みになることもなく。嫡子と同等の教育を受けた。中世としては稀で父親殺しも兄弟殺しも存在しませんでした。


                            2014-1-6










       皇帝フリードリッヒ2世の教育

 

                              
 
塩野七生さんの最近の著作を暮れから新年にかけて読んだところです。
そこで理数は得意でないのでよく分らないのですが、
フィボナッチの定理(予測)が先だって証明されたことは知っていました。
フィボナッチはその定理で現代では有名ですが、
ヨーロッパに初めてアラビア数字を紹介した人です。
フリードリッヒは交易商人であった彼を年金を与えて研究に専念させました。
他にも皇帝は初めて獣医学・防疫学を研究したブルーノを後援する。
翻訳工房を作ってそこでギリシャ語やヘブライ語を中世の学術公用語である
ラテン語に訳しました。
彼は宗教や民族の別なく交友して霊魂の不滅とは・神学の目的とはとイスラム
学者に質問していました。こだわりのない当時としては異例の為政者です。
 皇帝はまた欧州で初めての世俗人のための国立ナポリ大学を創設した。
キリスト教のフィルターを廃してすべてのリベラルアーツ・一般教養を教える
大学でした。どう生かすかは学ぶ側の自由でありました。希望すれば彼の
官僚にも就職できます。
フリードリッヒ2世の中央集権化をめざす官僚の養成に結果的に役立つことに
なります。続けて中世としては異例の奨学金制度と低利子での貸し付け制度
で学生の支援をしました。
学生が集まって借家料が上がるのを防ぐために上限を決める細かい配慮
までします。大学の自治を認め学生の処分は教授が決めました。
おまけに勧誘パンフレットまで作って宣伝した。欧州での最初の例ばか
りです。ルネッサンスの200年前の13世紀に偉大な君主がいたものです。

 フリードリッヒ2世の生涯
                     2014-1-5


 









      皇帝フリードリッヒ2世の幹部候補生教育  

 
 権力基盤の小さかった皇帝フリードリッヒ2世は中央集権的な法治国家
めざしました。当時は実力で築いた封建諸侯の時代で、彼が目指しているもの
とは反する現実です。
政権の高官には封建領主や聖職者を使いました。彼らの権力基盤を自ら否定
し壊す地位に使ったのです。
 そして区別することのなかった皇帝の嫡子や庶子の教育と同じに、
有力封建諸侯の10-11歳くらいからの子供たちを一緒に寄宿舎で教育した。
その教育の内容は偏見のないリベラルアーツなものでした。
 この皇帝の宮廷独特のユダヤ人・ギリシャ人・サラセン人などのあらゆる種類
の人が集まる異文化を体験して子供たちは育ちます。
成人になると皇帝と行動を伴に統治を実地に学んでいきます、その生徒たちは
長じて親と代替わりして地位につき皇帝の政策を支える人々になったのです。
 彼が創設した国立ナポリ大学の卒業生も同じく政府を支える人材の供給源と
なります。

 日本の維新の時も、武士により変革をなしえて、明治の世になり版籍奉還なり
秩禄処分で武士の身分はなくなりました。
 他でも変革が起きるときは既得権層からの協力が得られないと改革は難しい
ものになりますね。
 日本の今の官僚キャリア組の幹部候補生教育は少数の受験秀才を採用して、
バカ殿教育でエリート意識だけ持たせるシステムです。
採用時の成績・ハンモックナンバーが定年まで大きな影響で昇進していくシス
テムです。それゆえ維新の志が消えてしまえば、破滅へのエリートになり
ました。
 志は時代が作る要素でもあるので、それを持てといっても難しいものが
あります。それで幅広く採用して競わせて少数の幹部を選考していくシステムを
作ることがこれからのリーダーにとって必要でしょう。

     
   
                2014-1-9












     皇帝フリードリッヒ2世と宗教・異端 

  
   
   
 フリードリヒ2世は生涯に2回も破門され、その状態で死ぬことになります。キリストが述べたと言う、法王は法王のものに国王は国王のものにということを彼は実践しようとします。世俗のものと宗教的なものに分けて彼は考えたということです。でも彼は異端者のように誤解されました。
 異端審問所は皇帝に対抗するものとして彼の時代に出来ました。スペインのレコンキスタのように対イスラムに対してできたものであると老生はカン違いをしていました。異教徒は当時の人にとっては、自分が信じる宗教と異なるものを信じている存在で真の教えに目覚めていない哀れな人々の意味でした。 異端者は身内の問題でその信じ方が、キリスト教会の定めた信じ方と異なると断じられた人々です、ゆえに近親憎悪で許せなくて、異端者は殲滅させるべきのになりました。それ以降に魔女裁判だ異端者撲滅だと欧州は何千万人が近代までに殺されることになります。
 現代ではユダヤ教とイスラム教がいまだに怨念の戦いが続いていますが、そのどちらも多大な犠牲の血のうえに洗練化したキリスト教のような宗教ではないからだという人がいます。
 フリードリッヒはシチリアでイスラム人との紛争が起こったときに、イタリア国内にイスラム教の人々を住ませる都市をつくり解決をはかりました。そのせいかイスラムの人々の信頼を得て、戦争の際には何千人ものイスラム兵が参戦してきました。だから法王にイチャモンつけられるはめにもなったのでしょうが。彼は宗教が違っても共存できる稀有な例をつくった人物です。
 現代に問題になっているイスラム問題もイスラムが洗練されるまで、100年以上がかかりそうですが、過去の歴史にはそれを解決できる種はあったということです。また現在までイスラムの問題を引きずったのは過去の植民地を持った国とそこでの政策によりますね。反植民地の感情をイスラム精神で現地の人は対抗するしかなかった。他に部族・民族の意識のままの現地の人々を、教育するようなこともなく、単なる旧植民地の区割りだけで独立させてしまいました。独立した植民地では国内に民族・部族・宗教対立を抱えたものになっています。紛争が続く分けです。 
 シチリアの独特の歴史背景でなったフリードリッヒですが、学ぶべきものが多いように思います。
 
 フリードリッヒ2世の生涯

             2014-1-8

   









      十字軍物語 宗教戦争として
  
       塩野七生さんによる  
                         

                         
                           第1回十字軍 エルサレム攻略

 塩野七生さんの十字軍物語3巻を読み終えました。書きたいのがあと1作と述べておられますので、今まで文庫本で読んできましたが、この前のフリードリッヒ2世と今回とでハードカバーに手をだしました。どちらが早いかの歳でこれだけは塩野さんに勝って小生がおさらばするのかもしれません。司馬遼太郎さんの亡くなられたのも突然で、今でもあともう少し書いてほしかった気持ちがいっぱいです。

 さてネストリウス教でもゾロアスター教でもコプト教にしろ、今の若者に正社員になれるご利益があるとワイドショーでそのことが放映されれば、たちどころにその教会にお参りする若人が行列するのが、日本のこだわりのない宗教事情ですね。
 老生にとってはポリフォニーのキリスト教の宗教音楽は好きですが、一信教どうしの聖地奪還の戦争にはあまり関心がありません。ルネッサンスの時代は大好きですが、中世の何とか家の領地争いとか親兄弟殺しの相続紛争に興味はないのです。でも困ったことに十字軍はよく受験で出題されます。キリスト教サイドのフィルターがかかった西欧中心の歴史を学ぶゆえでしょう。

 キリスト教とイスラム教は歴史では長く戦います。現代では宗教的な面を表に出さない歴史的な成熟があります。これは十字軍についての西欧側での負い目や反省点を現代の指導者レベルでは共有しているからでしょう。戦いは今でもやっています。
 でも宗教を前面に立てて多くが信じて戦った戦争は下記のものです。
貧民十字軍 1096年 貧者ピエールのよびかけ、
第1回十字軍 1096年から1099年 諸侯による十字軍、エルサレム攻略成功
第2回十字軍
 
1147年から1148年 ルイ7世他 ダマスカスをねらうが大した戦闘もせず撤退

1187年   エルサレム失う
第3回十字軍  1189年から1192年 サラデインが88年ぶりにエルサレム占領    リチャード1世獅子心王は休戦協定で巡礼の自由は確保1/4世紀続く
第4回十字軍 1202年より1204年  ヴェネツイアに支配され東ローマ帝国の
コンスタンチノポリスの占領 
第5回十字軍  1218年より1221年  ハンガリー王ヤオーストラリア公がダミエッタ
攻略、ナイル氾濫で撤退
第6回十字軍 1228年から1229年 破門されたフリードリッヒ2世戦闘せず外交で
エルサレムを得る
第7回十字軍 1248年から1249年 聖王ルイ9世が大敗北して捕虜になる完全失敗
第8回十字軍 1270年 再度 ルイ9世がチュニスをめざすが死亡

1291年 アッコン攻防戦で陥落、十字軍国家消滅 

 これ以降にはロードス島攻防戦・ウイーン攻防戦・クレタ島攻防戦・・マルタ島攻防戦などがありますが、領土や利権をめぐる抗争を宗教で色つけしただけです。


    ;El Cant de La Sibilla グレゴリオ聖歌 演奏 Jordi  Savall  54.45分 いいね
    http://www.youtube.com/watch?v=uiBiEcxLqsY

    2014-2-2 













       十字軍物語1 聖戦とは  
 
             塩野七生さんによる


         

ジハード・聖戦と言えば今なお現況の世界の問題として存在しています。
 十字軍の時代に聖戦でイスラム側がカソリックに対して対処してきたのだとばかり思っておりましたが、十字軍の時代ではサラデインとマメルーク朝(奴隷王朝)の時だけでした。サラデインにしろマメルーク朝にしろ自分の基盤を強化するときにジハード(聖戦)を唱えました。カソリック側も法王が十字軍を唱えた背景には皇帝との権力闘争が背景にありました。同じです。
 法王はエルサレムの奪回は血を流した戦いでなければ意味がないと考え、フリドリッヒ2世の外交による奪回は認めませんでした。イスラム側にエルサレムがあったときでも実質的には巡礼は行えました。イスラムにとってもいい収入になったのです。
 モスールを支配しイスラム世界の両派の戦いに終止符を打ちサラデインはバクダット・スンニ派とカイロ・シーア派に分かれていた統一者となる。1187年サラデインがジハード・聖戦のはじめての宣言をする。それはサラデインは当時はトルコとアラビア民族が支配的な中での立場の弱い少数民族クルド族の出でした。面白いことにサラデインは30歳までは学問と教養を深めていまし。彼は叔父さんが将軍であったのでエジプト占領に就いて行き、兵士に慕われ叔父さんの死後にその地位を簒奪した人です。サラデインは八ッテインの戦闘に大勝利しエルサレムを奪還した。彼も各地の太守や領主を束ねていく立場でジハードを唱えなければエルサレムの占領はできなかった。
 蒙古によるバクダット壊滅でイスラム圏の半分が占領されたました。マメルーク朝はそれを破り勢いを食い止めて成立します。奴隷からのしあがったスルタンですので、宗教的権威を必要とした。同じく聖戦を唱える必要があったのです。
 教条的な題目や冒すことのできない絶対的な文言を言い出す背景にはそれを言い出す側に弱いものがあるという現実・本質は今でも過去でもあるということですね。


  パレステイナの歌  演奏 デービッド・マンロー  3.19分  いいね
   http://www.youtube.com/watch?v=nCwnm38ULZc#t=148
                                
    2014-2-4












      十字軍物語2  イスラムのこと

           塩野七生さんによる


 
        ; 
日本・イスラム・キリストの地位比較

キリスト側 イスラム側 日本
宗教的 法王 カリフ・世襲制 天皇

司教 イマム・導師

世俗的 皇帝・国王 スルタン
ヴィジル・宰相
将軍

封建諸侯 アタペグ・太守
エミル
大名


 十字軍により影響を受けたイスラムのお話です。
 第1次十字軍の時代のイスラムは西欧や日本と同じく領土・相続争いを繰り返す中世の時代です。バクダットを支配するスルタン・アッバース朝スンニ派とヴィジル・カイロを支配するファテイマ朝シーア派が対立して競って分裂していました。この両派の争いは現代まで続いている問題ですが。最初の十字軍もイスラム側は宗教的な問題とは感じることなく、領土を獲りにきた外国勢力の気分でいました。エジプト側は十字軍に同盟を申込みに行く位でした。それゆえに第一次十字軍ではエルサレムの占領と海辺の十字軍諸国の成立を許しました。
それから徐々に反撃をしてゆきます。ヌラデインは対立していたカイロを占領させファテイマ朝は滅亡してイスラム世界を統一した。クルド族の若きサラデインはそこをを占領した叔父の死でエジプトの宰相になる。ヌラデインが死亡。サラデインはヌラデインの息子から徐々に権力を奪い、ダマスカスとカイロを支配するアユーブ朝のスルタンになる。彼はエルサレムの奪還をします。しかし蒙古が侵入してきて、バクダットが壊滅して半分のイスラム圏が消える状況まで追い込まれます。奴隷あがりのマメルーク朝が蒙古を破りイスラム圏を維持して、アッコンの占領でキリスト教勢力の追い落としが成功します。
 そもそもイスラム教は通商の民による宗教です。ゆえに通商・交易と伴に拡大し中国の沿岸部やインドネシアにまで布教はひろまります。十字軍を海に蹴落とした後でも、それゆえに西欧との交易は再開します。西欧との香辛料の仲介貿易で富を得ていました。しかしバスコダガマが新しい交易ルートを中東抜きで開発したところから、中東イスラム諸国は没落し西欧の植民地になってしまいました。その遺恨が現代まで続いています。
 
 Dimitrie Cantemir   ESTAMBUL サヴァール   48.46分
   18世紀の曲ですが イスタンブールの雰囲気がよくでています
   http://www.youtube.com/watch?v=jCq5GiqvMhU

    2014-2-6














     十字軍物語3 始まりとその後 
  
        塩野七生さんによる

 
                            
  
 
 カノッサの屈辱は1077年に神聖ローマ皇帝ハインリッヒは破門され三日三晩立ち尽くして,その解除を願った事件です。法王の権威を誇示した事件でした。でもそのあとで皇帝の反撃が始まり法王は逃げ回ることになります。 十字軍は法王が権威を打ち立て取り戻すために企画します。十字軍が終わり、美男王フィリップにより法王が70年に渡りアビニョンに捕囚されました。
十字軍は失敗に終わります。フランスは諸侯の国より小さいのですが、それで有力諸侯が十字軍で死んだ後に、その領地を次々と直轄領にしてフランスの王権を強化し中央集権化がすすみました。
 法王は神聖ローマ皇帝フリードリッヒへの敵愾心に燃えるあまりに、結局もうひとつのフランス王を強化させることに役立ち、戦略を誤ることになり、結果的には拉致される立場になるのです。
  アッコン陥落10年が過ぎて、ヴェネツイアとマメルーク朝は通商協定を結ぶ。ジハードでキリスト教徒を追い払ったけれど、通商のイスラム教の民はビジネスのうまみは続けたかったということでしょう。
 ヴェネツイアはリスクの分散と情報収集や資本の集約で経済大国になる。イスラムとの利害の一致で巡礼の再開も行われる。経済力を得た都市国家の市民たちがルネッサンスを作ることになります。
 法王は神の代理人であり、神の意志を伝える人で、神は間違わないのだから法王も誤ることはない。信者の信仰が足りないのが何事もその失敗の原因であると言われる。十字軍の失敗も法王が責任を問われることはありませんでした。ルターがそれに疑問を呈するまでは、そうだとされてきました。

     2014-2-7













    陽の下に新しきものなし  

          十字軍物語・塩野七生による

 
  第1次十字軍でエルサレムを陥落したときには、異教徒と見ればユダヤ教もイスラム教の人々も殺しまくったのでした。市内の街路を流れる血で染めて惨劇は行われた。占領したキリスト諸侯たちは折り重なった屍の間を通って聖墳墓教会に集まり、祭壇の前で泣きながらひざまついて神に感謝の祈りを捧げました。

 一人の人間の中に善・悪が共生している。だからこそ哲学・倫理・宗教によって矯正に努めるが、未だに成果ははかばかしくない。古人はこの現実を陽の下に新しきものなしと言った。

 若い時に柄にもなくソクラテスやプラトンを読んだ時があります。それらの偉人は2500年以上の前のことです。その書籍に書かれていることは、今の問題かしらということが多いです。この年になってもそれをかじっただけで、何も残っていないのが恥ずかしい限りです。

 人間の考えることは2000年経っても進歩しないものです。サイエンスは驚くほどの進化をとげましたが、精神的なもの・内面のものは昔と同じ問題で解決できていません。

 アフリカで200人の女学生が誘拐されました。ローマ亡き後地中海世界でもサラセン海賊に誘拐されたキリスト教徒は改宗すれば奴隷にならなくてすみました。また同じようなことが現代でも起こっているのですね。


  13世紀・14世紀の音楽 演奏 独演奏者  8分
  https://www.youtube.com/watch?v=N2Pb_jpSyiE&list=RDsCRAY8WFDRo

     2014-5-16


 









    ジョブ・空洞化・本国投資
   

 
                                  

 アメリカで発表される雇用統計は重要な経済指標で金融緩和
の継続の是非やダウ平均を上げ下げして、翌日には日経平均
に重大な結果をもたらします。
 塩野七生さんによれば、人間は本当に求めているものは、
食でも金でもなく職(ジョブ)なのである。それによって得た報酬
こそが自分で稼いだ金と感じており。自身の人間としての尊厳
を確かなものにしていけると知っている。貧困者たちへの無料
食糧給付や生活保護ではそれはできない。
 為政者は誰にも迷惑をかけないで暮らせるだけの職を与える
のが最大の責務である。

 ローマ史のなかで黄金の世紀の紀元2世紀、トライアヌスは本国
の空洞化対策で元老院議員は少なくとも資産の1/3を本国に投資
する法律を求めた。そして本土の農産品を輸出できるようにまで
なりました。そして増えた投資を雇用の増大つなぐように、今なら
少子化対策に当たる政策を実行する。 塩野さんは日本人へ危機
からの脱出編で述べられています。
 日本では中国への工場移転は失敗に終わると思いますが、他の
国への投資は減るものではないでしょう。本社すら税金の安い国へ
移す動きもあります。けれど日本企業の主要なところはローマに
ならう政策が必要ですね。

                        2013-10-28













       衆愚政治
 

 塩野七生さんが衆愚政治について述べておられます。「 衆愚政治
とは、有権者の1人1人が以前よりは愚かになったがゆえに生じた
現象ではなく、かえって声を高く上げ始めた結果ではなかったか。
その多種多様な民意にどれが最優先事項かを決められない
指導者、説得し実行する勇気ある冷徹な指導者を欠いたことで
はないか」 地中海の最強国アテネがソクラテスの弟子たちや
言論の自由があったにもかかわらず衆愚制に堕し衰退していっ
た原因は分っていないのだと塩野さんは書いておられます。
 民主党の今回の失敗も政権を取ってからの何をやりたいのか
自覚的に持っている政治家が少なく、結果的には議員になるの
が最終目的の政治家ばかりでした。マニフェストにもない政策を掲げて、
参院の過半数を失い、原発事故も起きて、何も決められないまま、
政権を降りました。
 数は力ではありませんでした。何をするのかを明確にした人々
の集団を集めて、再編成すべきでしょう。連立政権でかまいません。
その政策を実行できればいいのです。
 大衆は常に愚で、小生もその一人です。民主政はそれゆえ必ずし
も善政をもたらしません。少数に賢人による政治は効率的で結果を
出しますが、短期的なものです。すぐに腐敗します。まだまだ2500年
の歴史のある民主政の発展途上であると自覚して続けていかねばな
りませんね。

                            2013-10-31










        新トライアヌス法の制定

               1/3の国内投資義務化


 このHPのジョブのところでもこのことを述べていますが、空洞化
対策の決定打は今のところ見つかりません。欧州でもアメリカでも同
じです。世界史的な問題といえましょう。
 日本の製造業の工場は次のように移動してきました。大都市の中
心-都市の郊外-地方都市-中国・タイ・インド-ビルマ・ベトナム・バン
グラデイシュ-アフリカ?? このように製造業は移っています。現在
の中心は中国・タイですが時間の問題で次に移ることになりますね。
 今ニュースでトヨタが2兆円を超える上方修正と報道しています。
もう忘れかけていますが、アメリカの要求で米国内に工場を各日本
の自動車会社が造りました。経済的合理性を抜きにしたアメリカの
要求に屈したものです。経済活動もひとつのルールの中で行われる
ものです。円安効果が大きいのでしょうが、ちゃんと成果がだせます。
 ローマの時代は農業が主要産業です。パクスロマーナの実現し
たトライアヌスの時代は現在と同じように属州に対する投資が利益が
大きくイタリア本土は空洞化していました。皇帝トライアヌスは投資1/3
を本土に義務とする法律を制定しました。それにより本土の農地の
価格の上昇や農産物の輸出もできるように本土の農業は改善しま
した。ローマの繁栄の絶頂だからできたともいえますが、とかくそん
な時には繁栄を謳歌するのみで何も対策しないものです。工業だか
らとか古い話だとか言わずに新トライアヌス法を制定して、日本の
みならず先進国サミットで論議して共同で制定したらどうでしょう。
その会議にもちろん塩野七生さんに参加してもらうのはもちろんの
ことです。世界の後押しがあると、それに弱い日本ですから、制定
もでき効果も上がるでしょう。

 さあ トライ しようぜ。

            2013-11-6

 








      塩野七生さんの復興特別立法

 
 大震災から3年したということで、特別テレビや新聞で特集が報道
されました。相変わらず仮設住宅の不便を強いられている被災者の
方がおおぜいおられます。  復興予算が使われていなかったり、
不法に使用されたり、また建設業者のためだけに、かって作りたい
だけの目的で壮大なハコものを作ってきたやり方が、復興に名を借
りて無駄使いされている印象を得ました。
 3/13の朝日新聞の塩野七海さんインタビュー記事があります。
そこで被災地の市町村の有権者を45歳以上で区切って若い人に
2票の権利を与えて、その意見を反映させようということです。 
縦割り行政の弊害や市町村の補助金があるなら割安感だけ
が先行して全体を考えない復興計画などがどんどん進んでいる
模様です。
 このままだと誰も住んでいない場所や耕作しない農地の周りを
壮大な高さの堤防で囲むものが出来上がりながら、しかもまだ仮設
の住まいの人がいる。
 塩野さんは文面の最後に・これほど能力がありながら、それを
総合的に活用できなかった民族と歴史に書かれそう・と云われて
います。若い世代にもっと機会をということです。 

  2014-3-13
   











      朝日新聞と慰安婦報道

      塩野七生による・文芸春秋10月号  
 
 
 アメリカで慰安婦像が設置されたり、珍しく撤去されたり動きが活発です。朝日新
聞の慰安婦の誤報で塩野七海さんが文芸春秋で述べておられます。今回の朝日の
告白で慰安婦問題を解決する大きなチャンスであると。問題は強制連行とされた点
です。敵にまわせない欧米が問題視しています。高給タイピスト募集などとうたって
募集したケースは戦後の米軍のための慰安婦募集は日韓でありました。問題は公
的機関がからんだ強制でしょう。そこでオランダ人慰安婦の問題でオランダ人ウイレ
ム・ユーケスさんに接触して証言を得るよう提案しています。関係者全員の国会招
致で中継して、すべて公表する。本当の意味でウミを出し切る必要があります。

 詳しくは春秋をおよみください。他に興味をもった表現として、欧米人は建前と本音
の双方を心から信じる人種である。口に出して言える考えと、口に出しては言えない
が胸の内では持っている想いの二つがある。口に出せないが許せないのは、キリス
ト教徒、それも女子供が迫害されることであり、白人種ならなおさら許せないである。

                  2014-9-15




        追補 1   慰安婦交渉の日韓外相合意

                  



                     



 昨夜、日韓慰安婦交渉がまとまりました。 北朝鮮との拉致被害者との交渉は今回の韓国と同じように昨年まとまりましたが、その後の結果は失敗でした。 今回もまだまだ継続して見ていかなければなりませんが、良い点は米国がからんでくれたことと、日本の次の世代にいつまでも謝罪をさせるわけにいかないというところでしょう。 爺爺ですら戦後生まれですので、何で言われなければならないのか不満でしたから。
 韓国大統領のテレビ会見のニコニコ顔は印象的で、これは本物ですと思わせます。

  唐突な印象を受ける今回の合意は、韓国はいかに追い詰められている状況ではないかと思われます。そうでなければ交渉はまとまらなかったでしょう。 韓国の経済的な破たんでこのあと、また、援助・支援をもとめられるのではないかと懸念してしまいます。また、外・害務省が本当に詰め切っているのか?と。

 
             2015-12-29


    2015-10-18  韓国問題まとめ 





     追補 2   塩野さんへの公開質問状
                   

 WAM・ウーマンズ・アクテイブ・ミュ-ジアム・女たちの戦争と平和資料館という団体より塩野さんへ文芸春秋2014年10月号の記事について公開質問状がだされています。

   http://wam-peace.org/20141004/

  塩野さんあて 公開質問状
   http://wam-peace.org/wp/wp-content/uploads/2014/10/2014_1004_shiononanami_koukaishitsumon.pdf

  継続して文芸春秋を読んでいないので、その後の経過は知りません。

爺爺は塩野さんの西欧人の思考がおもしろいとしてとりあげました。 欧米人には理想と偽善が一体となって文化が成り立っているように個人的には思っていますので。

 自分が正しいとする一神教的な考えで、有名人の上げ足をとり溜飲を下げたり、それで自分の価値を高めるような行動には賛成できかねます。 表現や行動をとるためには、もっと大きな観点からの選択と集中が必要でしょう。 館長の池田さんはHHKのデイレクターを定年退職された人のようです。WAMの行動自体は優れたことをされているとおもわれますが、偏狭にならないように願いたいものです。


        2016-1-2